子どもたちは今 ~子どもたちの声~

2018年度 年次報告(2018年4月1日~2019年3月31日)

2018年度年次報告「はじめに」より

 「関係性」と一言でいっても、それは多岐に渡ります。例えば子どもにとって非常に身近なことを拾っただけでも親との関係性、友だちとの関係性、教師との関係性と。更に云うなら自分自身の問題も含めて、関係性とはいったいどんな状態を指すのだろうかと思い、私が愛用する電子辞書を引いてみました。それによれば、 ①あるものと他のものと何らかのかかわりを持つこと ②その事柄 ③2つ以上の人間関係における特殊なかかわりあい、などなど。
電子辞書の③でいうなら、自分自身の中の関係性ということはあり得るのか、と疑問が生まれてもきます。しかし、他者との関係性の基本になる「私」という主体。この私なくして関係性の出発点はないという意味から電子辞書①にこじつけて、自分自身に向かい合っていく姿勢、そのことをここではあえて、自己との関係性とよんでみたいと思っています。そしてそれは、自己の客観視から始まっていくのではないだろうか・・・と自分の生育歴を振り返ったとき感じています。


 子どもたちの話をきいていると、いいえ残念なことに子どものみならず大人でも、なぜここまで主体の確立がなされていないのかと、困惑すること暫しです。
子どもの主体は、親(養育者)が子どもを権利主体として認識をし、向い合い続ける関係性の築きで、必ず確立していくと私は信じているのです。ですが斯くもと思える現状にぶつかると、子どもたちは、そして主体を未確立なまま大人になってしまった人たちの日常は、いったいどんなものであったのだろうと、考えさせられます。なぜなら親(養育者)の主体が確立しているかそれとも未確立であるのかは、親(養育者)と子の関係性の土台になること大だからです。
 「どうしたいの?」という意思を、自分の気持をきかれたことがないと子どもたちは云います。主体は親で、主体であるべき子どもは客体。子どもを権利主体とする観点からは、本末転倒した関係になっているのです。叱られるときでさえ「なんでそうしたの?」とそこに至った意志や気持をきいてもらえない。主導権、支配権は常に親の側にある訳です。親(養育者)側からみれば何の疑問もなく行動していると思うのですが、子どもにとってそれは、「あなたは考えなくていいのよ」というメッセージの継続的な受信になっていきます。考えることを必要としない状況下での育ちは「考えない子」を育てていき、結果従属的に生きる子どもの人生をつくり上げてしまうことにならないでしょうか。そしてそれは当たり前に親の支配の下で育つ子育て文化の継承につながっていくと考えらるのです。だからこそなのかもしれませんが、手間のかからない、支配しやすいいい子を望む親が増えていて、子どもは愛して欲しいが故に自我を捨て、親(養育者)の気持を先取りして、いい子・できる子を演じ続ける。そして結果子どもの主体は失われ、主体のない人格は、自分の子育てでも我が子の人格を犯して支配をしてしまうという連鎖になっているように思います。
 子どもの権利を基本にして事業展開している私たちにとって、親(養育者)はあくまでも子どもの育ちの伴走者で、子どもこそが自分の人生の主人公。だから自分の人生は自分で切り開いて歩んで欲しいと、どうしても思ってしまいます。それだけに、チャイルドラインをはじめとする電話やメールに寄せてくれる子どもたちの声を真摯に受け止めて、事態を探り実態に警報を鳴らし続けたいと思うのです。


 子どもたちの話を聞いていると、友だちを求める気持ちの中に、相関関係を感じ取れないことが儘あるのです。あくまでも私が考えている従来の友だちの定義を基にしてのことですが、友だちを物理的には欲しているけれど欲していない、そんな感じに似た思いを受けることがあります。なぜなら、他者と一緒にいることは望むけど、影響しあう関係性は無意識に望んでいないように感じるからです。そのまま大人になった場合、頑固に自己を守って自己変革を拒むけれど他者の言葉には流されてしまう、そんな人格になっていくように思うのです。自己(主体)の確立の問題に大きく関係していないだろうかと、思うようになってきました。
朱に染まれば赤くなるという諺があるくらい感化されるのが友だちという関係性。親(養育者)が我が子の友だち関係に神経質になったのも、故にということなのですが、この諺もいずれ死語になっていくのでしょうか。人間が成長していくプロセスで、人格形成に影響しあう友情という他者との結び合い、絆、これらのことも言葉としてのみ残っていって、心に感じ取ることができない時代になっていくのかもしれないと、思わされています。

電話から聴こえてくる子どもの声

関係性

子どもたちは、関係が希薄で、表面的にしか関わっていないように思われます。「人に気を使い、自分を出せずに心がいっぱい いっぱい」と電話があります。一人になるのはイヤなので、相手の気持ちを聴いたり、自分から積極的に関係を作っていこうとはしませんが、誰かと同じ空間には居たいと思っています。

子ども同士、子ども自身、SNS

子どもは言動を「駄目」と言われただけなのに、存在を否定されたと受け取り自分に自信が持てなくなるのです。普段のやり取りの中では、相手からどう思われているかを常に気にしていて、自分の望むリアクションではなかったり、「そうだね」と言ってもらえると思っているのに「何でそう思うの?」と返されると否定されたと感じます。本音で向き合うことが怖い子どもたちは、かえって相手の反応が見えないLINE の方が安心なのだと思います。

精神疾患

「進学先、友人、洋服まで両親が決めてしまう。自分が誰だかわからない」「自分の事は自分で決めると書き残して死にたい」とこれが最初で最後の反抗だと話します。このように自分の存在が認められず、親に支配され続けることで、思春期になっても親に反抗できず、精神疾患になったのではないかという子どもの姿があります。

部活動

部活動は、自分の好きなもの、興味のあるものを見つけたり、そのことから新たな自分を発見できます。また、気の合う仲間と楽しい時間を過ごすなど、子どもたちのひとつの居場所になり得ます。部活動が子どもにとって様々な体験の場となるには、子ども主体の活動であることが基本であると考えます。

貧困

貧困からくる進路についての相談電話が多くかかってきました。一人親家庭が増えている中で、親が一生懸命に働いている姿を見ている子どもたちは、寂しさや不安を出せないで我慢をしている様子が伺えます。どのような環境においても子どもたちは周りに応援してくれたり、励ましてくれる人がいることで自分を肯定できたり、自信を持つことができます。

居場所

居場所とは単純に言えば「居るところ」という意味ですが、現代社会では物理的な居場所と心理的な居場所の両面の意味を持っています。「帰る家があって、落ち着いて話ができる家、安らぎが得られる家、楽しい家庭を築けたら」と言う子どもからの電話でもわかりますが、心の拠り所であることが重要な意味を持っています。

2018年度 子どもの声を受け止める

子ども専用電話「チャイルドラインMIE」・「こどもほっとダイヤル」の電話データからみえる子どもの状況

「チャイルドラインMIE」の報告

チャイルドラインは、全国69の団体がネットワークを組み実施している子ども専用電話です。三重県では毎日実施できていませんが、実施のない時間は開設している全国のチャイルドラインで受けてもらっています。2018年度チャイルドラインで受けている三重県発信の電話は1,120件ありました。

※使用データは、チャイルドライン支援センターのデータベース(2019年3月31日までに入力完了データ)を使用しています。

「チャイルドラインMIE」の報告内容
「こどもほっとダイヤル」の報告

 三重県では、三重県子ども条例に基づき、子ども専用電話相談『こどもほっとダイヤル』を開設しました。
子どもの声を受け止め、子どもとともに状況や気持ちを整理しながら子ども主体の解決方法を考えます。専門的な対応が必要な場合は関係機関につなぐことができます。
2018年度は、848件の電話を受け、児童相談センターに3件、教育委員会に2件繋ぎました。子どもの名前や住所を聞いて特定するまでは至っていませんが、いじめや虐待を訴える電話3件を三重県の子ども・福祉部と共有しました。

「こどもほっとダイヤル」の報告内容